金沢大学資料館
 

学術資料のご紹介

当館で所蔵する学術資料(研究・教育に使用された資料)の一部をご紹介します。

■第四高等学校物理実験機器 (金沢大学資料館Virtual Museum Projectで公開)
 旧制第四高等学校(以下四高)で使用されていた教育実験用機器である。これらの中には四高の前身校である石川県専門学校で購入された機器も含まれている。昭和25(1950)年四高閉校後は金沢大学で保管された。平成6(1994)年のキャンパス移転を機に、輸入機器を中心とする91点が金沢大学資料館に移され、その他703点が石川県に譲渡された(現在、石川県立自然史資料館が所蔵)。その後、平成19(2007)年金沢大学で新たに120余点の現存が確認された。

■石川師範学校写真資料 (金沢大学資料館Virtual Museum Projectで公開)
 石川師範学校に伝来した古写真。師範学校は初等・中等学校教員養成を目的として設立された教育機関。石川県では明治6(1873)年別伝習所を始まりとし、石川県集成学校、石川県女子師範学校、石川県師範学校等を経て昭和18(1943)年石川師範学校となった。石川師範学校は昭和24(1949)年金沢大学に包括され昭和26(1951)年に閉校した。164点。

■金沢病院設計図 (金沢大学資料館Virtual Museum Projectで公開)
 明治38(1905)年8月、金沢市小立野に完成した石川県立金沢病院(後の金沢大学附属病院)の設計図である。ただし一部金沢大学医学部附属病院の平面図(昭和24(1949)年作成)も含まれている。14点。

■キノコ・ムラージュ標本 (金沢大学資料館Virtual Museum Projectで公開)
 ムラージュとは鋳型を用いた蝋模型のことである。主に皮膚病の形態を表す医療教育用標本として作製され、キノコ・ムラージュ標本は、植物学または博物学の教育用標本として作製された。本資料群は、第四高等学校(以下四高)旧蔵のもので、東京帝国大学で作製され四高教授市村塘によって導入されたと推測されている。平成16(2004)年金沢大学理学部生態学講座・植物自然史講座標本庫で発見され、同大50周年記念館「角間の里」を経て、平成22(2010)年に金沢大学資料館へ移管された。31点。

■暁烏陶磁器コレクション
 石川県白山市の真宗大谷派寺院明達寺(みょうたつじ) 出自の信仰運動家である暁烏 敏(あけがらす はや)による陶磁器コレクション。 753点を数え, 内容は地元九谷をはじめ, 全国の諸窯や朝鮮陶磁器など多岐にわたる。
 暁烏の生前に膨大な蔵書を附属図書館に暁烏文庫として収蔵した経緯から、没後遺族から教育学部に寄贈を受け、平成元(1989)年の大学移転に伴い当館で収蔵するにいたる。

■美術資料
 本学で美術教育に携わっていた教官による絵画・彫刻のほか、当世具足や平安時代後期の木製仏像が存在。また前身各校から伝わる扁額や書の類も収蔵している。

■西村コレクション
 土器ランプ57点、土器68点、ガラス器21点(うち完形は10点)、青銅器4点の150点からなる。寄贈者の西村見暁氏は大正4(1915)年に石川県羽咋市に生まれ、昭和8(1933)年暁烏敏師の門に入り、昭和16(1941)年東京大学印度哲学科を卒業し、昭和27(1952)年金沢大学教育学部教育哲学講師として赴任。昭和37(1962)年金沢大学助教授を辞し、宗教活動に専念した。昭和37年エルサレムの骨董屋で、キリスト生誕の地ベツレヘムで出土したという土器、ガラス器、青銅器を一括購入した。ランプは1つ1ドルくらい。大型の土器は輸送途中で破損し小型品が残った。昭和38(1963)年に帰国後、金沢大学教育学部に寄贈した。平成元(1989)年金沢大学資料館設立に伴い当館に収蔵された。

■小中屋文書
 近世に幕府領として存在した白山麓十八ヶ村の一つ須納谷(すのだに)村(現石川県小松市花立町)の庄屋小中屋(こなかや)に襲蔵されていた村方文書310点。幕府領での支配形態、庄屋の任務、山村の生活の様子等を読み取ることができる。
 須納谷村は大日川上流、越前との国境に位置する白山麓十八箇村に属する山村の一つ。寛文8(1668)年以降幕府直轄領であったが,明治2(1869)年福井藩に所属、同4(1871)年本保県、同5(1972)年石川県能美郡に所属した。同22(1889)年近隣五か村が合併して能美郡新丸村となり大字須納谷村と称した。昭和31(1956)年大日川ダム建設を機に小松市花立町と改称され現在にいたる。元本学教育学部教授若林喜三郎氏寄贈のもので, 平成3(1991)年当館収蔵。

■松嶋家文書
 河北郡津幡町池ヶ原松嶋家に伝わる古文書。「一代記」・「反別地価等書上」・「石山信長記」(写本)・「能州末森戦記」(写本)など記録、手習本、浄土真宗関係写本、和歌・謡関係書など冊子55点、一紙2点からなる。
 津幡町池ヶ原は、南北に長い石川県のほぼ中央部、加賀・能登・越中の三国に接する三国山山麓の丘陵地に位置する。
 資料の中心をなす「一代記」は、地方知識人ともいえる松嶋家先代松嶋喜太郎が、天保7(1836)年から明治4(1871)年までに見聞・収集した諸情報を記録したもの。弘化2(1845)年以降は、元治元(1864)・慶応3(1867)・明治元(1868)・同2(1869)年を除いてすべてそろっている。1巻から5巻、7巻から18巻、26巻、27巻まで現存するが、巻数が不明のものもある(元治2・慶応2年)。 内容は、天候、災害、作柄に関する記述が多い。また、外国船来航、中央の政治的事件など当時の主な政治・社会情勢はほぼ記録されており、加賀藩の一地方への情報伝達のあり方をうかがうことができる。加賀藩レベルでは 嘉永5(1852)年の銭屋五兵衛の投獄に至る河北潟死魚浮上事件、安政5(1858)年の卯辰山騒動等が記されている。

■小型計算機
 本学での研究・教育の一端を示す足跡の一つとして、また計算機の発達の歴史を示すものとして、パーソナル・コンピューター出現以前の古い型の小型計算機10点を収蔵する。
 
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